普通じゃないのが普通

2022年を生きる私たちは、激動の数百年の変化の中にいる。

私たちの祖父母の時代のおよそ100年前1922年はスマホネットももちろんない。

TVでも1家に1台普及したのは1960年台だ。冷蔵庫も自家用車もクーラーもない。

女性が自立してキャリアを積む事も難しい=男性は仕事をする事をしなければならない。

このたった100年でどれだけ時代とともに人々の価値観や常識も変化したのだろうか。

私たちのDNAには、先祖が地慣らししてくれた情報が沢山刻み込まれている。

(だとしたら、かなり古くて難しい価値観がいっぱいプログラムされてそうですよね。)

大正生まれの私の祖母は戦時中、満州にいた。

そんな祖母(当時59歳)が私の幼少期近くに住んでいて、生活ぶりをよく見ていました。

祖母は老人会に所属し、平日はゲートボールとか大正琴に行って帰宅して、昼寝して、夕方は時代劇をTVで見る。

腰が少しまるまり、白髪ショートカット(+パーマネント)。

そう。見た目は今は懐かしい”昭和のおばあちゃん”。

50代で老人会のゲートボールと時代劇!

今の50代では考えられませんね!

ほんの30年前ですよ。

時代感や常識はこの100年でガラっ!と変わりました。

これがもし縄文時代だったら、、と時間の流れ方をおもしろがって考えるのです。

縄文時代の100年かぁ〜・・・

100年で

刃物にする石の研ぐ技術が少し上がって、動物の肉を上手にさばく事ができるようになったり、火を起こすスピードが少しあがったかもしれないな。

・・・そ、、その程度かもしれない・・・・・。

だとしたら、縄文時代の常識は祖母と孫でもほとんど変わらなかったのではないか。

『今時の若いもんは』という観点がなかったのではないか?

(妄想終)

そう考えると、

今って時代の変化スピードが何十倍も早いのでは!!?

凄まじいスピードで『普通』が移り変わっているのでは!!?

そんな風に”じぶんが選んで生まれてきた時代”を考えてみる。

普通や常識とはなんだろう、、、と。

普通って

人と合わせる事?

常識人である事?

って。

『普通』はどんどん変わってゆく。

だから私はこのハイスピードな変化に富む時代にいることを俯瞰して認識していたいと思っている。

だって『普通』は安定の中にある様に感じているけれど、そんなに『普通』ってフツーじゃないのかもしれないから^_^!

時代と文明の恩恵を受けながら

いつでも頭を柔らかくしていたい。

MOTOKO

“普通じゃないのが普通”への 2 件のコメント

  1. 鈴木美奈子 より:

    いつでもあたまをゆるゆるにしていきたいと思います。
    つい固まりがちになりますよね。
    気づきをありがとうございます

  2. Mi より:

    私は40代前半です。
    高校生と中学生の娘がいます。
    2世代前の学生とは違いますね!
    親が自分と同じ年代の時の生活の仕方を
    思い浮かべても、違うなぁと
    しみじみ感じます。
    総じて緩く、選択肢の幅が広く、
    生きやすくなっている感じがします。
    ただ、ステレオタイプというのが
    なくなった分、情報集めが大変だなぁ、、
    と思います。
    あと、目に見えない部分の真実が
    市民権を得ている感じがして
    私的にはすごく嬉しいです

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