役割を演じる

5月11日、私は夫に対し、とある宣言をしました。

家庭において「家事育児介護は女性が担う」に代表されるような性別役割分担があります。「妻・夫」「父・母」としての役割もあります。

私はある時、家庭の中における自分自身の存在意義に違和感を感じ始めました。
それは、2020年以来、社会に大変革が訪れる中、家族が側で元気でいてくれることに幸せを感じながらも、人生を見つめ直し自分自身にフォーカスを充てたとき、ぬぐい切れない苦しさで気持ちが覆われる日々が訪れたからです。

生活が一変し、これまでは仕事でほとんど不在だった夫が毎日、自宅で仕事をする。子どもたちは自宅でオンライン授業。
もともと専業主婦だった私は数年前から自宅で出来る仕事をしています。「学校から帰ったときに家にいてほしい」そんな子どもたちの希望を叶えたくて。

コロナ禍の生活が始まり、そこに待っていたのは、否応でも自分が妻であり母であることを意識させられる毎日の超現実的な生活。家族のために拘束される時間と労力と精神的負担。

子どもが赤ちゃんだった頃、24時間片時もなく離れることなく過ごしていた時には感じなかった束縛感を感じました。

束縛感を感じると思考は未来ではなく、過去へ過去へと向かいました。

実際に3人の子宝に恵まれ幸せです。
けれども、どこか違う、押さえている何かがあると感じ始めたのは約1年前。そこから自問自答の旅が始まりました。

まずは、何がどうなっているのか客観的に捉えようと観察と分析、内観の日々、、、。

夫を一家の大黒柱としての存在感を作り上げるために行動している私。
そのために子どもにさえ気を遣わせる日々。
夫婦間の価値観の違いに何も言えなかった過去。

自分の気持ちも分からなくなり、混沌とした状態が何か月も続きました。
当然、このような気持ちを抱えているので夫とも意見の相違が目立つようになり、すれ違う日々。
家族に囲まれ妻として母として大切にされているのに、違和感を感じ始めた自分への嫌悪感も感じました。

心と対峙し続け見えてきたのは、今まで固定概念に縛られ、役割を演じ続けた妻として・母としての自分の姿。
サザエさん的なちびまる子ちゃん的な、お茶の間にみんなが集まって談笑する朗らかで穏やかな家族を必死に作ろうとする私。

「家族のため」「ささやかな幸せ」これが私の呪縛でした。
今、”ちゃんとしないと”、一瞬でも”手を抜くと”きっと後で後悔する。そう自分にプレッシャーをかけ続けていました。

私は「良い妻」「良い母」になろうとしていたけど、自然体で「良い妻」「良い母」でいたのではなかったのです。

情熱的に「良い妻」「良い母」を舞台の上で10年以上演じてきたけど、ふと顔を上げて観客を見たときに、疲れた観客の顔がありました。

私は思考で妻・母親を演じてきて、心と身体はありのままではありませんでした。

そう、私は「家族のため」だと自らこの役割を選び、演じてきたのです。
完璧な妻像、完璧な母親像を常に頭に思い浮かべ、気持ちとか感じるものとか一切を感じないようにしながら、その理想に当てはまっていくことに喜びを感じていました。それが正解だと思っていたし、それが幸せな家族のカタチと思い込んでいたから。無意識に。
夫や子どもたちはどうだったのか。。。

そして5月11日。夫に「これまで演じてきた妻・母親像に無理があったことと、その役割を降りる」宣言をしました。新しい家族のカタチを作りたいと強く願ったから。

私は4ハウスにコンジャンクション&天体が5つあります。ホロスコープ全体から見ても、家族のしがらみは私の人生の課題。

固定概念はある意味、指南書の役割もしていました。未知の道に不安も感じます。
宣言したからと言って、目の前の現実的な家事を放置もできません。あっという間に大きくなった子ども達との時間も今しかありません。

けれど、勇気を出して夫に告げた宣言は、囚われず自由に生きたいと願う本心と、自分を大切にしてこなかった過去への償いでした。

「本当に大切なものは目に見えない」
演じなくても私の中には本来の母性や慈愛があると信じ、自然体でそれらを出せる居場所を作りたい。過去を悔いる自分を許したい。

yujiさんからいただいた言葉「Be the Star!」

まさに人生のターニングポイントとなった2022年5月でした。

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