家・家族にも隙間を

昨年から、ヨガのような、ピラティスのような運動を週に1度しています。
インナーマッスルを鍛えるトレーニングはゆるーい動きは、運動が苦手な私にはちょうど良い感じ。
先生のメソッドでは「身体に隙間を空けることが大切」年々、骨の間が詰まってくることでひざや腰に痛みが出たり、身体のゆがみにつながるそう。

骨の隙間が詰まってくるって確かにイメージできます。
先生はこのトレーニングを1年間続けられて身長が2センチ伸びたそうなので驚き!

隙間を空けると伸びるって不思議ですね。
これまで私達は反対のことを教わってきたように思います。

学力を伸ばすために知識を詰める。
仕事の成果を伸ばすために結果を積み上げる。

成長するためには「たくさん・取り入れる・積み上げていく」と教わってきましたが、実は隙間を空けると伸びる。
トレーニングの先生の身長は、2センチ伸びたのではなく隙間を空けた結果、元々の身長になっただけだとか。

詰まりを取ることで、本来あるべき姿に戻る。

家の中も同様。物が多くなると溢れます。
おもちゃ箱に入らなくなったおもちゃは別の箱を買い足すか、テトリスのように入れ方を替えて何とか詰める。本棚に入らなくなった本は隙間に重ね入れる。

隙間を開けられない理由は、【いつかは。安心。多い方が充足している気がする】から。
でも今、必要な物があれば実は充分。

家族関係に対する固定概念も隙間なくギュッと詰まっているよう。

例えば私と子ども。
なるべく子どもの自立をと考えながらも、いつも子どものことを心配し過ぎるほう。
いわゆる親心・心配心が思い切り子どもの上に隙間なく乗っかかっている状態になります。
子どもからすると重たく、かえって成長を疎外してしまっています。

例えば夫。
ついつい人のためにと思う性格なので職場や友人を最優先に考え行動。反対に家族は(本人目線ではなく家族から見ると)後回し。きっと夫にとって家族は自分そのもの。だから後回しになる。自分自身と家族を隙間なしに一体化しているよう。

そして私自身。
「家族とはこうあるべきだ」という固定概念や、「家族だから心身一体に」といつもいつも心が囚われています。でも本当は家族とて他人。血のつながった親子でも私自身ではありません。

従来の固定概念に縛られた家族観や価値観の一致を求める結婚観が、隙間のない関係性を作ってきました。

身体も家も隙間を空けることで余裕が生まれ、しなやかさが出て、かえって伸びるように、

家族も人と人の間に隙間を空けることで、詰まりが取れ、良い距離感が作られ、相手を等身大で見られるようになるのではないかと思います。縛り合う関係より、風通しの良い家族関係が心地良いはず。

隙間こそ、家族それぞれが「ありのまま」でいられるために、ちょうど良い距離感なのではないかとつくづく思う今日この頃です。

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