一昨年は前世

コロナでしばらく寝込んでいて気づいたことのは自分がノるな、ノラないな、と思う物事がかなりハッキリわかってきたこと。
そして、その感覚に折り合いをつけるのが難しくなってきた、ということ。

もともとこうした仕分けをする感覚は、21年の後半からあったけど、なんかもうウソがつけない!みたいな。
会社や仕事の転職するときのような心境を思い出した。

プライベートワークがよい、どのエリアでやっていることが、みたいなわかりやすい線引ではなくて、
なんだろうな、頭で考えずに、自然と取り組みたいと思う物事で、自分を向かわせたいと思う感覚。

そういえば、そんな話は、年明けになってから何度か言われていた。
ホニャララカオスに出た時に
僕は、「1を→10でなく、0→1の人間です」と言われたこと。

その少し前に新卒で一緒だった会社の同期と話した時に
「人のつくった器にあまり興味がなくなってきた」と話したら
「人の船に乗りたくないと思うのは、よい経営者になる素質だよ」
と言われたこと。

これまで、あまり自分には明確にやりたいことやあり方はあまりなく、頼まれごとから物事が広がっていくタイプなんだろうな、と思っていた(もちろん、それを全部否定するつもりはない)。


プレースタイルが変わったというか、これまでの生活環境や、特にこれまでの仕事の影響で「かくあるべし」な考え方をずっと握りしめていたのが、変化の2年間の最後のダメ出しで、ウイルスに襲われて、手放すことをやっと覚えた。
けど、これが本来のto beなんだろうな、という割としっくり感じている。

慣れ親しんだ場も心地良いけど、新しい地平を見たくなった。
変化したい!なんて強い意志やなくて、ひっそりと、一人で旅に出るような気持ち。
多分、傍から見ると豹変に近い動きだと思うんだけど、まあ変わってしまったものは仕方ない。

「一昨年は前世」は少し前のyujiさんのブログ(だっけな)で印象的だった言葉。
この2年で、世の中もだけど、自分も本当に変化したんだな、ということを書いて起きたかった朝。

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