配信・発信で波動のやり取りを

1ヶ月ほど投稿が空いてしまったが、この間、
世間にちょっと変化が起きたように思う。

・・・その起きた変化はというと、この世界、少なくとも私の生きる世界線において、
”配信”をする人たちが増えたということ。

standfmにyoutubeにtiktokにinsta-liveにvoicyに・・・と今はそれぞれの特性にあった配信チャンネルがあるので、それぞれが”水を得た魚状態”になって、好きに、やりたいように発信・配信ができる・・そんな時代。

もちろんこれは音声・動画メディアだけを指しているので、以前からあるblog/twitter/fb/insta.などをいれると選択肢は相当に膨らむ。

しかもものによってはそれを使うだけでプロとして”食べていくこと”も可能となるものもあるので、

考えようによっては夢がある話だとも思う。

食べていく!・・・までいかなくても、音声でもblogでもlogを残しておいて後から見聞きすると、自分が話してる・書いているはずなのに、自分がこんなこと言ったっけ?みたいな感じになって、”今の自分”と”過去の自分”というまるで二人の自己があるような気になって面白い。

自分の卒業アルバムをみるとなんだかちょっと甘酸っぱいというか、照れ臭いというか、こんな頃もあったなぁ・・・となるけれど、そこにあるのはヴィジュアルだけで、思考や好きだったことや声のようなものまでは写されていない。

でも、声や文章で残っていれば、あとから”成長”ぶりもわかるし、当時のことを”写真以上”に思い出すことも可能かもしれない。

・・・思い出したいかどうかは別にして・・・。

つまるところ何が言いたいかと言うと、
最近、配信者が増えてきてとても楽しいということ。

そして、ヴィジュアルでその人となりを想像するより、
声とか動画で”伝えてくれる”ほうがもっと鮮明にその人の人となりが刻印される、ということ。

音声、動画はたしかに撮る方も視聴する方も時間がかかる。(blogとかをさっと読むよりも)
でも、さきほど申し上げた通り、動画・音声のほうがより強く記憶に残ったり、印象に残るのは、そのかかった時間の分だけ、自分の時間を使った分だけ、バーターになっているからなのかもしれない、なんて思ったりもしている。

みなさんとの波動のやり取り、配信者とのvibes交換。
なんて考えたら、配信・発信って、ただの”blogを書く・動画を撮る・撮影する”という行為じゃないんだななんて思えてくる。

発信=vibesのやりとり。

あーーなるほど・・・・ってちょっとなにかが、
腹落ちした。(自分で言っときながらね! 苦笑)

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