「今ここに見える景色」

先日、京都の建仁寺両足院の特別拝観を訪れました。

よく手入れされた庭をぐるっと一周した後、特別拝観の方丈襖絵に、可愛らしさや温かさ、若々しさを感じながら、濡れ縁からもう一度、庭を眺めると「こんな庭だったのかな?」とまるで初めて見たかのような感覚におそわれました。

両足院さんに伺ったのは2回目。

前回は2022年5月。ちょうど木星が牡羊座に移動した当日、朝に元夫から言われた言葉に泣きながらバスに揺られ、両足院さんの朝の坐禅体験会に参加しました。

しとしと雨が降る庭を眺めながらの坐禅は、心を空っぽにすることもできず、目は景色を見ていても頭は全く別のことを考えていたため、ただ目に映るものとして捉えていました。

覚えているのは、遠くから聞こえる工事の音と、木に雨宿りした鳥の声が気になり、現実を突きつけられるような、考え事を取り払えない感覚を感じたこと。それから副住職 伊藤東凌さんが言われた言葉「坐禅を難しく考えないでください。心を空っぽにするのではなく、今、想うこと感じることを素直に感じてみてください。」

先日、2度目に訪れた際、思い出したのは寺院の間取りだけ。庭の景色、雰囲気、香り・・・何も思い出せませんでした。

同じ場所に立っても、物事の見え方、視点の先、聞こえる音、嗅覚を刺激する香りは人それぞれ違う。

同じように、同じ場所を訪れても、今の自分の状況や心の持ちよう、興味関心が変わっていたら、五感の捉え方も変わる。

良い思い出と言えない記憶が重なる場所には積極的に足が向かないけれど、改めて訪れることで、過去から今日まで私の人生が繋がってきた軌跡や、あの頃とは違う今の私に出会うことができた。

場所が教えてくれてくれた私の人生の年表。時々、そういう時間も良いな、と思った冬の1日でした。

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