コロナウイルス養生記(1)

3月に入ったくらいから、
「今年の春分は、かなりターニングポイントになるなー」
とかなり感じていた。
2月にホニャララカオスに呼んでもらい、運命のバチスタを生放送で切られる、というレアな体験もさせてもらったり。
2年間での仕事やあり方の変化をマジマジと感じたり、他にも秋から動いていた仕事のプロジェクトの公開や、年明けからのチーム体制の変化、さらにはこのサイトの公開も3月後半に!
どんだけ新しいことが始まるんだと、浮かれすぎたのか、忙しくて体調が悪かった認識もあったけど、ちょうど3/20にコロナウイルス陽性が発覚。
起きた瞬間に、感じたことない悪寒と38.9度の発熱。
近所の休日診療所の抗原検査でバッチリ陽性が判明。
幸いなことに、感染経路も把握できたのと、直前の48時間は、リモートの度合いが多かったので、濃厚接触者や関係者への感染拡大にも至らず。

人によって症状は違うと思うけど、
・物心ついたときから、扁桃炎肥大に悩まされ、耳鼻科は常連
・海外でインフルエンザ等に罹患し、救急病院に駆け込んだ経験あり
・数年に一度は扁桃炎で高熱が出て寝込む
というそこそこの病気体験者(まあ威張って言えることではないが)的にも、コロナウイルスは「ちょっと普通の病気と違うぞ」と感じる点がかなり多かった。
一個人の体験談なので、極めて感覚的なこと、医学的にもまだわからないことが多いと思うけど、記念すべき一投稿目のタイミングだったので感じたことをここに記しておきたいと思う。

○とにかく痛い
僕の場合だと背中とか全身の痛みやコリや倦怠感が、かなり不定期に襲われた。
扁桃炎みたいに、何か患部があって、そこに症状がみたいな先の見える症状や状態ではなく、細胞自体が痛いというかダメージを食らっている感覚。
だからいつこの痛みが終わるのか、という目処が立ちづらいのが、発熱に慣れてるとはいえ、精神的にちょっとキツかった。

○熱のアップダウン
陽性判明した初日から、39度前後の高熱が3日続き、4日目でいきなりほぼ平熱に。
抜けたのかなーと思いきや、4日の午後から6日目くらいまで、38度前後を行ったり来たり。
昼間は調子がいいけど、夜になると熱が上がり寝られない、とか。
体調がかなり安定しなかった。
様態が急変する、というのもあながち間違ってないなあと肌で感じた。

○備えよ常に
仕事やプライベートでも色々と予定が変わってしまったが、この半年くらいは特に「自分ひとりで仕事を抱えるのをやめないと」と思い、どのプロジェクトでもなるべくスタッフやチームで動くように心がけてきた。
おかげで、どうしても自分がいないと回らない!という状況は回避できたのと、自律的に動くメンバーに囲まれて、僕はもう必要なんじゃないか、と一人隔離されながら感じることさえあった笑

あとは、感染してもいいように、食料や水分、サプリなどを買っておいたのも、心理的な焦りの軽減になったと思う。
サプリは仕入れていたのも忘れていて、友人からのアドバイスで慌てて飲んだけど、後半の症状軽減にはかなり効いたんじゃないかなと思う。
特に、ビタミンD、ビタミンC、亜鉛。
3月は仕事も詰まっていて、睡眠の時間や質も確保できておらず、免疫が落ちている自覚があったので、ウイルスに攻め込まれてちょっと悔しい。

そうそう、なんでこうした感染体験を書いておこうか、と思ったのか。
もうひとつの理由は、感染したってちゃんとオープンになる世の中だといいな、と思ったので。


感染したとか、今こんな症状だ、とSNSに書いたら、少なくない友人知人たちが
「実は自分もかかって大変だった」
「後遺症が続いている」
という報告がちらほらあり、さらには
「このつらさは、かからないとわからないし、わかってもらえない」と言うことだった。


感染したことは、別に自慢できることでもないし、恥ずべきことでもないし、そもそも病気っていつなるかわからない。
体調が悪くなったら、お互いにフォローしあったり、困ったことがあれば労りあえる。
そんな世の中になるといいなと思ったのと、確かにこれはかからんないとわからない、独特のキツさがあった。

そんな自分も、自宅療養の期間は終わったけど、目の痛みや微熱が続いています。
確かに、体調全開ではなく、たるさややる気のなさ、倦怠感が残ってる。
いわゆる後遺症ってやつみたいです。
焦っても仕方ないので、もうちょっと体験記を書くネタが増えたな、くらいのポジティブシンキングで自分の身体と向き合ってみたいと思います。

春分もいいけど、そういえば、僕今年は本厄でした。
10日間、熱出して汗かいて、これ以上ない厄落としになったかな。

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