洋服を着て生き方を纏う
2022年7月3日
2022年夏。Stay homeで過ごした2年間が過ぎ、3年ぶりの夏のように感じている人もいるかもしれない。その間にファッションのトレンドや基本になるシルエットが様変わりした様子は、とりたてて洋服に詳しくない私でも十分に実感できるほどだから、かなりのものなのだろう。すごくオシャレをしたいわけではないけれど、いつまでも古いOSを搭載しているかのような格好はしたくないし、かといってトレンドまっしぐらでいるのも心地よい気がしない。自分に完璧に似合っていれば3年前のファッションで全く問題ないかというと、周囲の環境や景色や時代の空気感というものはどんどん変化しているから、そもそも同じように似合っているという感覚は得にくいもの。
そもそも似合うとはどういうことなのか。大人の余裕が感じられつつ、時代の空気感にあっているような身だしなみとは何か。そういう洋服を探そうとするととても苦労するのだ。とりあえず感じのよさそうなアイテムを探そうと、なんとなくこれなら着られそう、とか、これまで好きだったものの延長線にあるようなもの、雑誌やインスタで見ていいなと思ったものを検索してみる。偶然良さそうと思えるアイテムを手に入れられたら、今度はそれをどう着こなすか、いい感じのコーディネートを検索して真似してみることになる。そうしてできあがったファッションは本当に自分にとって自分が良いと思える、納得できるものに仕上がっているだろうか?私の場合は、答えは残念ながらNOである。どこかで見たファッション的なものにはなっても、それ本当に自分か?自分のなりたい姿だったのだろうか?という疑問がぬぐいきれないのだ。街中にそういう人いそうだよね、という無難なファッションにはなっても「自分だからこれ」と自信をもって着られる洋服というのは、残念ながら自分ではそう簡単に見つけられない。
そこで頼りにするのは第三者だ。第三者といっても、友達にちょっとアドバイスをもらうようなことではなく、その道のプロに任せるという方法だ。世の中にはパーソナルスタイリストという職業があり、それを生業にしている人がいる。毎日たくさんの洋服を見て過ごし、お客様に似合う洋服を提案して過ごしているから、素人の私が何時間も何時間もお店やネットで検索してもわからないような「似合う」服をほんの一瞬で見つけてきてくれる。
頼りにできるパーソナルスタイリストのすごいところは、その場で単に洋服と体型や顔立ちだけを似合わせているだけではないところだ。事前にお客様にカウンセリングをし、その方の人生のビジョン、この2-3年で達成していきたいこと、社会的地位、家庭での役割をすべて明確に理解し、さらにはその人の洋服との向き合い方も把握した上で、本人が到底想定し得ないような洋服を提案してくることだ。その洋服はお客様が普段見ることがないようなブランドの、見たことがないような柄、シルエット、デザイン、素材、組み合わせだったりする。だからお客様はときにスタイリストが提案した服を試着することすら難色を示すこともあると聞く。そんな服、私ではありません、と。そこをどうにか説得して袖を通してもらい試着室から出てきたとき、驚いたような嬉しいような、でもちょっと不安が混ざったような表情を見せる。鏡の中の自分を見たとき、自分なのに自分じゃないような不思議な感覚に陥るのだ。これでいいのかな?と。なぜならそのとき自分にはまだ少し先の自分の様子が想像できていないから、今の自分と見比べたときに、それが本当に自分の向かいたい道なのかすぐに判断ができない。しかしスタイリストは事前の徹底的なカウンセリングにより、素敵な洋服をまとった少し先のお客様の姿がはっきり想像できていて、それを今までとは違う新しい洋服を纏った姿でみせてくれているのだ。テレビで見るようなわかりやすいビフォア・アフターではない、その人の人生に寄り添い道筋を照らしてくれるビフォア・アフター。それまでの生き方を肯定した上で、その先の人生に連続的な変化を生み出してくれ自分をアップデートしていく道を示してくれる旅のようなものかもしれない。ときに寄り道したり遊びを入れたりしつつ、それでも少しずつ目的地に向かっていく。
私をその旅に連れていってくれたのは、西畑敦子氏。彼女は私の人生にはなくてはならない存在である。ライフステージが変わったとき、人生に迷いが生じたとき、年齢を重ねてファッション迷子になったとき、いつも優しさと厳しさをもって、ときに私以上に私の生き方のことを考えてファッションを整えてくれた。ファッションのことを考えるのが大変だから全部お任せしたい、と伝えたときには、はっきりと「それは無理です。自分で努力せずに変わることはできません」と叱ってくれた。逆に、ファッションのことを考えられないくらいに落ち込んでしまったときには、心の温もりを思い出せるようなアイテムを添えてくれた。着られそうにない洋服を選んでくれたこともあった。でもそういう洋服は必ず1年後にはしっくりくるお気に入りになり、誰かに褒められた。
今手元にある、彼女と一緒に考えて作ったオリジナルのジャケットは、一見何の変哲もないただの紺のジャケットだが、ボタンや裏地、縫い糸などのディテールに細かいこだわりを施してある。そのこだわりのひとつひとつが、単なる遊びのデザインではなく、これまでの人生とこの先に続く道を考えた上で意味のあるものなのだ。だから、そのジャケットを着るときは彼女からの応援のエールをお守りに持っているような気持ちになる。
洋服はただ着るだけではない。大げさなようだけれど日々の洋服は自分の生き方を示すものであり、生きる源にもなる。洋服を着るということは生き方を纏うということ。
あなたはどんな洋服を纏いたいですか?
洋服を着て生き方を纏うへの 2 件のコメント
素敵な記事・示唆ありがとございます。
ついつい
国民性なのか
どこかでみたような纏をつい選んで纏ってしまいがち
仕事で
オフで
懐具合も含め
お手頃だから
無難だから
を
この生地が心地よいから
このデザインが好きだから
に少しでも
シフトチェンジできれば
と思うような内容でした
なかなかパーソナルスタイリストまでには行き着かなくとも
パートナーがオススメする
これ似合うはずを
少しは信頼して
チャレンジすることからでも始めると
意外と新たな発見があるのかも
また素敵な視点からの
記事を楽しみにしています。
Cocoさん、素敵な記事をありがとうございます。
「これだ!」という服との出会い、そして付き合い、育て方、、というのは本当にパーソナルで。
かつ、誰しもが同じ道を通ったり同じ思いをするのではない。
服との関係やご提案のプロセスを共有することの難しさも感じているのですが
純粋に感じたことを伝えてくださることがこんなにも心を動かすものかと感謝しています。
服というのは着ると同時に見られるものでもあり、
表現でありコミュニケーションであり。
選ぶプロセスも、着る人と一緒に、供に、
ただ思いやVISION(そう、ビジョンっていうのも可視化)を
服装に翻訳するのがお役目で、
見えない未来を一緒に形にして行くものだと思っています。
Cocoさんのお手元にあるアイテムがこれからも日々を彩って、
この先の未来に希望を見出すために服装がお役に立てるものでありますように。
本当にありがとうございます。