軽やかに生きるとは?

先日、哲学研究者のお話を聴く機会があった。

知性と理性と感性にはそれぞれ明確な定義があるそうだ。

知性とはこの世界にひとつしかない人間の集合知のようなものであり、現代的な表現をするならばホストコンピューターのようなもので、人間はそれらをシェアしながら使っているような感覚である。

理性とは、人ひとりひとりが持っている論理的思考力を指し、物事を順序だてて考えるような能力のことである。

そして、感性とは、美しさという抽象的な概念を理解し美醜を判断する能力である。

人間は知性には直接的に働きかけることはできず、感性を触発することによって知性を働かせている。感性は受動的な能力であるが、これを研ぎ澄ますことにより知性を引き出すことができる。そして感性というのは、趣味・嗜好的な判断ではなく知性的(つまり人間が共有している集合知に照らし合わせても誰もがそうだと納得できること)な判断である。

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美しいものには一定の法則がある。黄金比・フィボナッチ数列・自然数・円周率・・・

これらはきっと人間の本能的なものに直接響く美しさなのだろう。日々のコーディネートを決めているときに最後に足したアクセサリーで全体がピタっとはまったなと感じるようなとき、料理の味つけをしていて味が決まったと感じるとき、引き出しにものを収納するときに何かを計算したわけではなくピッタリ入ったとき、チラシのデザインを組んでいていろいろレイアウトを変えているうちに突然これだなと思うところに収まったとき、商品やパッケージのキャッチコピーを考えていてこれだと思う言葉に行きついたとき・・・おさまりがいい感覚になることはないだろうか。きっとこういう心地良さは、人間が共有している何か美しいものの判断基準のどこかに触れられたから得られているのだと思う。

2020年末から練習期間に入りいよいよ本番を迎える風の時代は、感性の時代であるともいわれるが、これは必ずしも自分の趣味嗜好的なものを楽しめばよい、というものではないのかもしれない。感性を研ぎ澄ますというのは、人間にとって本質的な心地良さ・美しさを追求して、「おさまりのよい」状態を追求することでもあるのだろう。

自分の心地良さの先にきっと本質的な心地良さがあるはず。日々の移ろいを味わうのは感性を磨きつづける旅のようなものだ。2023年どんな旅をしてきただろうか。そして来年は何をしようかな。そんなことを考える季節になった。

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