You are what you sense.

人の感性は、その人のそれまでの人生での色々なモノや人との出会いによって育まれている。

自分が持ち合わせるセンスがいいとか悪いとか豊かとか貧しいとかはさておいて、ときどき、いま自分は何を感じ取っているのか?に意識を向けていることに気づくときがあるはずだ。

例えば、音楽を聴くとき。演奏されているその瞬間に実際に聞こえている旋律や音の響きから、ミュージシャンが大切にしている価値観はどんなことにあって、作曲者の意図をどう表現したくて、その結果としてどんな音楽を呈示しているのだろうか?と思考を巡らせたりする。

例えば、料理をいただくとき。お皿の盛り付けや味風味から、シェフは元の材料からお皿にのった料理のプレゼンテーションに至るまでにどんな価値観で料理をデザインして何を表現したいのか?と想像したりする。

耳に聞こえるもの、目に見えるもの、鼻で匂うもの、舌の上で味わうもの、肌から感じとるもの、といった五感で感じ取っているもの以上に、そこに潜在している作り手の美意識や情熱のようなものを感じ取ろうとする無意識の欲求がある。

このような欲求の原動力になっているのは、五感を満たすこと以上にその奥にある人と人との潜在的な感性の響くポイントを探すことなのではないか。その人の美意識、その人の哲学、信念とか何かそういうものをお互いに分かち合う感覚ともいえるし、お互いにその存在価値を認め合う感覚ともいえるかもしれない。

この先、「個」の存在感がもっと大切になる時代になる、と色々なところで耳にするようになった。美意識や哲学といった感性レベルで共鳴し、ビジョンややりたいことが一致する組織において「個」の力を掛け合わせることによって、単純な足し算では生み出せないようなチーム力を発揮しながら、社会に価値を還元していく世の中になるだろう。社会の一員として何らかの役割を果たすことが、社会の中で生かされていると気づく感覚につながっていくのだろうと想像している。

畏敬するミュージシャンのひとりが、とあるライブ配信で次のような内容のメッセージを発信していた。

「音楽のどんなひとつの音にも無駄な音はなく、ひとつひとつの音は音楽という構造の中で大切な役割を担っている。人間社会はそれと同じである。誰ひとりとして大切でない人はいない。皆が社会の一員であり、みんなが協力しあう世の中なのだ。」

自分に与えられた役割は何か。自分はどんな形で社会に貢献していくのか。それを知る大きな手掛かりのひとつが自分の感性である。もしも新しい道に進みたくなったら自分の感性の扉を開けてみよう。人生の岐路には感性を震わせる経験が必ずあるから。

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