それぞれの家のにおい

 先日アロマの施術を受けた際、調合の最後の一つを「レモングラス」か「イランイラン」どちらか選んでくださいと言われ、迷わず「レモングラス」を選ぶつもりだったのに、「イランイラン」を選んだ。ここのケアルームは素の自分らしくいられる場所。ちょうどセラピストさんと子どもの頃の話しをしていて、「イランイラン」の香りから母を思い出し懐かしくなったのです。

 母は女性らしい人でいつもきちんとした身なりをしていました。母の鏡台は私にとって憧れ。引き出しをそっと開けてはお化粧品を覗いていた子どもの頃の記憶が蘇る香り。そんな懐かしさに誘われ包み込まれる癒しを期待したものの・・・。

 あの満たされなかった気持ちは何だろう?と、帰宅後に施術後の眠気に襲われながらぼんやりと考えていたら、、、急きょ私を襲ったのは、もっと母に甘えたいのに我慢をしていた幼い頃の記憶。
母とは、手をつないだりスキンシップをした思い出が少なく親子でも一定の距離感がありました。今となれば、クールで型にはまらないところはなんとも母らしい子育てだと思いますが、当時は寂しさを感じていたような気がします。けれど寂しいと感じていることに気が付いたのは何十年も経った今この時。こんなにも長い間自分の感情に蓋をしていたこと、そしてその蓋を開けてくれた香りの持つ力に驚いています。
母自身のにおいを感じる距離で接することのなかった幼い頃の私にとっての母の香りは、母のお化粧品の香りでした。「イランイラン」の甘い香りは郷愁を誘ったのです。

 先日、長女がお友達の家の玄関は「すごく良い香りの家、洗濯洗剤のにおいがする家、おばあちゃんの家に似てるにおいがある。」と話しをしていました。「うちはどんなにおいがするの?」と長女に聞かれて、「うーん。そうだね。分からないね。」と答えましたが、自宅のにおいは自分では分からないもの。旅行などでしばらく家を空けて帰宅した瞬間だけ感じられる自分たちのにおい。

 家にはそれぞれのにおいがあります。実家のにおいを、帰省する度に同じにおいだと感じるのは、「思い出とにおい」がリンクしていて、本当は昔と変わっているのに、同じように感じるだけなのか。小学生の頃みんなで埋めたタイムカプセルに家のにおいを詰めた瓶を入れておいたら面白かったかもしれません!(においを詰められるかは分かりませんが・・・)

 さて、そんな出来事から2日後の4/15、yujiさんのnote「4/15-火星が魚座の部屋に入りましたね!」を読み腑に落ちました。

 私自身は「もっと甘えたかった」。こんな感情が思いもよらず表れました。昔、祖母が商売をしていて忙しかったため、子どもの頃はいつも祖母が家にいなくて母が料理をしていたと話していたことを思い出しました。母も祖母に甘えられない子どもだったのかもしれません。

 40年もの間、蓋をしてきた感情がようやく表に出てきたけれど、涙が出るワケでもなく、悔やむワケでもなく、母を恨めしく思うワケでもありません。例えるなら、何十年もずっと手つかずだった押し入れの一番奥をようやく整理できたけど、一見、家の中は前とは何も変わらないから家族でも気付くことのない変化でしかなかった。けれど、何十年も気になっていた場所を整理して掃除したことによって出来た余白は、しばらく空っぽのままにしておきたい、何とも言えぬこの余韻にしばらく一人で浸りたい。そんな気持ちです。

 yujiさんがしめくくりに書かれていたように、良きタイミングで「気持ちを預けられるセラピストさんに足マッサージをしてもらったこと」と、「祖父母に呼ばれた気がして2年ぶりにお墓参りをしたこと」が、人生の棚卸を手伝ってくれたのかもしれません。

 子どもたちにとっての「うちのにおい」。気になるところです。

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