いずれ出会う未来

去年の夏頃から、関わったことのない少し大きなプロジェクトに声をかけてもらっている。
これまでの僕の仕事は、映像や紙のような制作物や企業のプロモーション、逗子海岸映画祭もそうだけど、単発のイベントやテンポラリーな空間づくりなど、わかりやすい成果物やそのプロマネが多かった。(あるいは、今やっている小さなコワーキングスペースとホステルの支配人というサービス業)
クライアントや、成果物に触れた人がどう気持ちが動くのか、ハッピーになるのかはいつも考えていたが、今向き合っているのは、それより大きな規模の空間の造作や座組、期間の長いビジネス規模や文化の掘り起こし。

これまでの仕事の領域からはかけ離れてはいて、僕のような存在やキャラクターががやれることはあるのかなあ、なんて不思議な気分だったけど、頼まれごとは試されごと。
声をかけてもらったのは、雑誌やネットの記事で読んでいたような人や、実際に教えを請うていた先生のような存在の人たちでもある。
とにかく、自分にも誰かにもウソをつかずに、必要と思うことをやって食らいついていく、ダメならダメでしょうがないなと思い、トライしている。

諸先輩方に出会った頃と比べて、多少は近づけることができたかな、と思う瞬間もあるけど、自分にない見方、経験、考え方からのアウトプットにぐうの根もでないこともしばしば。

その一方で、自分の信じる感覚にアグリーもらうことも増えたし、もしかしたら、このことをやるために、あの時の出来事や、仕事があったのかな、このひとと出会ったのかな、とつながるような感覚になることが増えてきた。

我に返ると、2022年4月現在の自分の収入を得ている「仕事」も、そもそもそれになるために学んだものではなく、これまでの人生でその時その時、その場やコミュニティで求められたあれこれを積み重ねて、体得したエッセンスやスキルの結果でもある。


「未だ来たらず」と書いて「未来」
これまでやってことがあるから、次のステップが見つかるのではなく、未来からの運命や流れに逆らわず、その時その時で、思い切りチャレンジを続けていると、もっとワクワクする何かに出会える。
今の色々な経験がやがて意味になる、大きな物事が待っている。
これ以上デカいことって、想像するだけで吐きそうになるけど、そんな頼まれごとが来ちゃうような自分の将来の姿を浮かべると、すでに誇らしさを感じている自分もいる。

Photo by Marvin Meyer on Unsplash

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です