ラベリングの功罪

占星術で使う12ハウス。
その最後の部屋の12ハウスの意味には”間”という意味もあると思っている。
(ほんとか?!)

12ハウスに天王星がある人は”間を0にするプロ”だし、
12ハウスに月がある人は”間”に入ってこられるのを嫌がる傾向があるし、
12ハウスに土星がある人は”間”に厳しい・・・・のだと思う。

そういう意味では、私は12ハウスのグレコンもちらしく、
距離感というか間にはちょっと敏感かもしれない。

例えば、対人の距離間とか。

距離感といえば、”ただのラベリングに過ぎない”かもしれないが、
昔、こんなことがあった。

もう20年以上も前のこと。
イタリアの学生時代。
ある友人が誕生日が同じだった。
そして、とても波長があったこともあり、私は当時、その人のことを親友だと思っていた。

友人宅でみんなでグループワークをしていたときに、何がきっかけかは忘れてしまったが、ふとポロリと、その子のことを”ベストフレンド”だと言った。
もちろん他にも数人いたので、”序列とか優劣”とかをつけないための配慮があったのかもしれないが、その子はその発言に対し、平然と”no”といった。
仲が良いことには違いないけれど、親友ではない、と。

まだどこか”友人ごっこ”が好きだった私。
実はその拒絶というか否定は、平然とふーんそうなんだ、とかいなしてはみせたものの、
それはそれはそれなりの一撃だった。

親友だと思っていたものがそうではなかったなんて。
今まで共に過ごしたあの楽しい日々は一体なんだったのか・・・と。(おおげさ!)

それから私は、人のことを称する際に”どの言葉をあてがえばいいのか”がよくわからなくなった。
どの距離感の人なのか、どういう風にお互いを思っているのか。
そういうお互いがお互いに使うラベル”友人、恋人、知人、親友、知り合い”等々、どれをどのようにどの状況なら使えるのか、つかっていいのかがわからなくなったのだ。

結果、”人を紹介する、距離感を説明する”その際に用いる言葉そのものに対して慎重になった。

”〇〇さんは私の友人です”といってしまって、相手はそう思っていなくて、気を悪くさせたらどうしよう。
〇〇さんは知り合いですといったら、向こうは友人だと思っていてくれたらどうしよう。

とか。

ただの言葉。
されど言葉。
ある意味、余計な詮索・気遣いをするようになってしまった、ともいえる。

だから、基本的にはその頃からずっと、人を紹介する際には、”知人”という言葉を使ったり、”役割”をいう(〜〜〜でお世話になっている等”)ことで”お互いにどの距離で捉えているか問題”のトラップにはまらないようにしている。

よく考えれば、漫画とかドラマでもあるあるだと思う。
片方はもう彼氏だと思っているけれど、もう片方は彼女になったとは思っていない、とか、
片方は友達だと思っていたけれど、もう一人はただの知り合い程度だと思っていた、とかそういうの。

ラベリング・レッテル・肩書き?
そういうものが思わぬ分断や勘違いを生み、争いというか揉め事を起こすなら、そんなラベルなど、もういっそくしゃくしゃにして、”有るような無いようなものにして仕舞えばいいのに”と思ったりするのは、きっと私が”魚座・カオスの12hのグレコンもち”だからなのかもしれない・・・・
と苦笑いしつつ、今、これを書いている。

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