短談:喫茶店話

話がいきなり脱線しますが、私”喫茶店”が好きでして。

カフェも好きですが、喫茶店も好きです。
小学生の時分から喫茶店に目覚め、イタリアではbarに、パリではカフェに、ロンドンではpubに通いまくった身としてはどこかもうdnaに組み込まれているような気すらします。
そのため”家の近くとか宿の近くとかにカフェ・喫茶店の類”がないと発狂しそうになる生活のペースが狂う感じがするのです。逆を言えば、カフェとかさえあれば、どこでも”home”に感じるとも言えます。
宿の中にカフェテリアがあればそこも使いますし、また近くにそういう場所があれば当然そういうところには頻繁にお世話になります。

そういう意味では、ある意味最強!ともいえるのが、京都、イノダコーヒーさん。
街中にあり散歩の途中にふらり立ち寄ったり、朝出かけて朝食をとったり。
また、サンドイッチにハヤシライスにパスタと”いわゆる喫茶店メニュの鉄板系”がずらりあるところも往年の喫茶店フリークにはとても魅力的に感じられます。

おしゃれなカフェとかミシュランスターのレストラン、流行りのスィーツ屋さんももちろん楽しいし、おいしくていいのですが、やはり何処か”鉄板もの”が食べたくなるのは私が古風な山羊座で月・牡牛座だからでしょうか。
お決まりの器に定番のメニュに・・・そして何よりも”熟練のスタッフによる流れるような接客”がまた、ノイズレス・シームレスを愛する私としては何よりたまらないのです。

正確に評するなら、このお店の魅力はきっと”その接客にある”といっても過言ではないかもしれません。当たり前のことを当たり前にやるというのは実はとても難しいもの。

サーブしてテーブルから去りながら”ごゆっくりどうぞー”(あなたがね!)
ドン!って水を置くとか、食べたらすぐに下げられる(監視されているみたいで怖い)
いらっしゃいませーの嵐(お客はそんなにいないのに)とか、
玄関先まで毎回お見送りがあるとか(そういうレベルのお店なら致し方ないのかもしれないが)

いい意味でそういう”違和感”を一切感じないのがこちら!
イノダさんなのですね。
(上記のようなお見送りが悪いとかではなくて、適切にサービスや距離感は変える必要があると思う、ということですね!)
適切な、心地よい、当たり前のことをさらっとやる・・・そういうのって意外と”ありそうでないもの”だと思うのですが、ここはそういうことを”当然のように”やってくださるお店なのです。

めっちゃ目新しいものがあるわけではないかもしれないけれど、こちらにくると”帰ってきた”感というか、”おかえり”感があるというか、そういう穏やかを感じるから、京都に来るとつい立ち寄ってしまいます。
また、昔から通っているよという常連さんも旅人も子供連れもみんなが楽しく、心地よく入れる空間もここならではのもの。そして”常連さん”が他を入れないような雰囲気を出していることもなく、不思議な共存感が漂っているのです。
pcをいじるノマドワーカーの横で、新聞を読む80代らしき老紳士がいて、そのとなりでは子連れがケーキを楽しんでいる。そんなハーモニアスななんとも言えない”喫茶店の宇宙”がここには感じられるのです。

旅疲れ、人疲れ、新しいもの疲れ。
そういう疲れが溜まった時に、
ふと尋ねたくなるピットみたいなバイブスを”イノダコーヒーさん”からは感じます。

皆さんはそういうピットみたいな場所、
ありますか?

*ちなみに私はナポリタンフリークでもありますが、ここのナポリタンは是非(このお店ではイタリアンと称されています)ご賞味いただきたい逸品です。
ケチャップ具合、具材の量、なにより過剰ではないポーション、なんなら間食でいただけるほどの”絶妙なヴォリューム”に極められた鉄板みを感じざるを得ないのです。

イノダコーヒー本店にいる名物インコ↑

“短談:喫茶店話”への 1 件のコメント

  1. おりえ より:

    堺町三条のイノダコーヒさん、今年の夏も滞在中、毎日行ってました。一応、他のお店にも行ってみたい意欲はあるものの、そこへ行くと必ずほっとできるとわかっているお店は心強い存在ですね。大抵いつもひとりで行きますが、片隅やあまり良くない席に通されることはなく、眺めや居心地の良い、絶妙な席に通されます。1階から眺める中庭の噴水はまさにオアシスで、夏は厳しいですが、庭の桜が咲いていたら外テーブルが最高。まだ一度も通されたことのない、メモリアルと呼ばれている入口左手の部屋、いつ座ることになるのか楽しみです。
    最近は、お気に入りの「京の朝食」に間に合わないことが多いおかげでプリンや玉子サンド、もちろんナポリタンも!楽しんでいます。

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